Black Dog’s Breakfast

鉛の飛行船への胸いっぱいの愛を変拍子で叫ぶブログ

1968年8月12日 始まりの日 ①

1968812 月曜日

ロンドン

ウェストエンド

ソーホー

ジェラードストリート

 

とある小さく狭い地下室に四人の若者が集まり、ここから伝説は始まった。初めて演奏した曲は『Train Kept A-Rollin』メンバーそれぞれがこの日の出来事を「特別な瞬間だった」と語っている。

 

現在ではジェラードストリート周辺はチャイナタウンとして有名だが、1968年頃は歓楽街の裏通りで、郵便局に紳士服のテーラー、雑貨店や薬局などが軒を連ねる寂れた地区だったらしい(大人の♡♡な店もあったとかなかったとか……)

70年代に入った頃に隣のライルストリートに中華料理店ができ、その後チャイナタウンとして発展していったという。

通りが様変わりする際に店舗や事業所もいろいろと入れ替わったのか、彼らが集った小さな地下室は、今では正確な住所が伝わってはいない。場所が特定できたら、きっとブループラークが設置されていただろうに。誠に残念。

 

尚、ウォーレンジヴォンが1978年に出したシングル「ロンドンのオオカミ男」の歌詞にはリーホーフック(利口福)という名の店を探していたと、ジェラードストリートにあった店が出てくる(現在閉店)ビーフ炒麺たべたい。

 

また、かつてジェラードストリート地下39番地にあった Ronnie Scott's Jazz Club は、1959年から営業し、1965年にフリスストリートへ移転。リース契約が切れる1967年までは、オールドプレイスとして無名の若手ミュージシャン達が演奏していたという。

ということは、1968年は機材とかまだ残ってたりして?もしかしたら、ここが四人が揃った場所では……?なんて考えると楽しい。まあ、クラブの跡地だったならそう発言してるだろうし、そう言ってないということは違うんだろうな。残念。

 

余談だけど、ジョーンズがこの日のことを語ったインタビューで「ジェラードストリート」ではなく「ライルストリート」と言っている記事があり、どっちなん?確かに隣接したストリートだけども。レッドツェッペリン公式HPと多くの文献で「Gerrard St」とあるので、こっちで間違いはないんだろうけど……ジョーンズさん、当日は迷わず着けた?道一本間違えて遠回りしなかった?大丈夫だった?

 

現在のGerrard St

https://goo.gl/maps/3myf7EwGFRMtEVjT9

 

 

この日、初めて四人で『Train Kept A-Rollin』を演奏し、爆発した……と、その瞬間の感動と興奮はそれぞれの口から伝わっているけど、その後はどうしたんだろう?演奏が終了した途端、(あまりの素晴らしさに)誰からともなく皆で笑い出した、という。そのあとのこと。

喜び勇んで、あれも演ろう!これも演ってみよう!と次から次へとジャム合戦が始まったんだろうか?みんなでペイジの家にそのまま行って、今後の展望や未来について熱く語り合ったんだろうか?新しく開き始めた世界に高揚した彼らはその夜、眠れたんだろうか?

 

なにがあったか知りたい気持ちと、四人の若者の煌めくような青春の1ページは、彼らの胸のなかに仕舞われたままでいてほしいという思いが交差してる。

 

 

因みに、1968年の夏から秋にかけての3ヶ月。彼ら四人がそれぞれ出会い、奇跡の日を迎えて活動を始めるまでのイギリスは、こんな感じだった。

 

7月:サハラ砂漠の砂塵混じりの雷雨によって各地で様々な災害に見舞われた。

8月:非常に涼しいが、くすんだ雨模様で北東風が吹き続けていた。

9月:初旬に大雨が降り、各地で洪水が起こった。

 

結構大変な3ヶ月だった。四人が揃った8月は穏やかだったようだけど。でも、確か当時のペイジの自宅って川っぺりじゃなかったっけ?大丈夫だったんだろうか?

 

 

 

②につづく