Black Dog’s Breakfast

鉛の飛行船への胸いっぱいの愛を変拍子で叫ぶブログ

ジョンジー、ゼップ辞めるってよ ①

2010 Uncut』誌

ジョンポールジョーンズがファンからの質問に答える記事より抜粋

 

 

  • あはは、冗談に決まってる。だけど、このままならレッドツェッペリンを辞めようと真剣に考えてたのは本当だ。ピーターは直ぐにいろいろ改善してくれた。もしも辞めてたら、どんな聖歌隊指揮者になってただろうね。きっと凄いことになってただろうよ。(以下略)

 

あはは、冗談に決まってる。

 

そう、冗談なんですよ。冗談。

It's a joke‼︎‼︎

I'm just kidding‼︎‼︎

 

それどころかいつのまにか「ジョンポールジョーンズはウィンチェスター大聖堂聖歌隊指揮者になるためにレッドツェッペリンを脱退しようとした」という、まるで指揮者になる事が決定済だったみたいな話になってたりする。下手するとウィンチェスター大聖堂から聖歌隊指揮者のオファーが来て、ジョーンズはレッドツェッペリンを脱退しようとした」なんて書いてるライターもいる。

 

んなわけあるかい。

 

「バンド辞めて聖歌隊指揮者になりたい」は「疲れた。チーズ蒸しパンになりたい」と同じ現実逃避の吐露なのよ。仕事ガン積み疲労コンパイで朝の満員電車に乗らんといかん時、ふとした瞬間「反対方向の電車乗ってどっか行きたい。ああ、なんだか無性に海が見たいなあああはあああ……」ってことない?あれですよ、あれ。「あはは、お空きれい」の一歩手前のやーつ。

そもそも、発言の主題は「バンド辞めたい」であって、「ウィンチェスター大聖堂聖歌隊指揮者」に意味はない。なのに、音楽ライターが「何故、ジョーンズはバンドを脱退しようと思ったのか」についてなんの疑問も持たず、ウィンチェスター大聖堂の方を拾って広げてどうすんだって話し。

「指揮者になるためにバンド辞める」とか「大聖堂からオファーが来た」なんて書いちゃったら、そっちがガチじゃん。もうマジのやつじゃん。そら、みんな「ジョンジーは指揮者になるからバンド辞める気だったんだ」ってなるわ。話しがそこで終わっちゃったわ。

もう50年が経とうというのに、未だにそう思ってるファンは結構いる。なぜなら、未だにそうやって雑に書くライターがいるから。

 

んなわけあるかい。(2回目)

 

というか、ジョーンズがインタビューを受けると大抵この話が出てくるから、その都度「あれは冗談だよ」と答えてるんだ。ライター、仕事してくれ。あと、話を盛るな。

ついでに言えば、「あれは、ジャーナリストに向けたジョークだったんだ」とのジョーンズの発言もある。ライターの皆さん、まんまと踊らされてますよ。50年も。

 

あと、思い出してほしい。彼はイギリス人だ。ジョークの国のお人だよ。モンティパイソンの国だぞ。ブラックジョークと皮肉と悪口のお国やぞ(大いなる偏見)

話しがズレるけど、ブリティッシュロッカーのインタビューは大抵小粋なジョークで煙に巻いてくるし、おまけにそれを日本語に翻訳した文章で読むもんだから、難解さマシマシで何が言いたいんだかわかんねって思ったことはない?私はある。

 

 

それはそれとして、単なる冗談が何故こんなに定着してしまったのか。

 

70年代初期、まだまだ保守的な時代。セックス・ドラック・ロックンロール!子どもたちを惑わす悪徳の音楽!などと大人たちから忌み嫌われてるロックバンド、ましてや『悪魔と契約した』と実しやかに噂されるロックバンド。天地がひっくり返っても神のお膝元である大聖堂の職に就けるわけがない。あと、リアルな話、ジョーンズは中等課程で学校を辞めているので、いくら音楽業界で名を馳せていたとしても音楽大学を出ていない彼が権威ある大聖堂の聖歌隊マスターになるのはさすがに無理がある。

 

単なる脱退表明でなく、ここで『ウィンチェスター大聖堂』という歴史あるビッグネームを出したところが、このジョークの笑いどころなのよ。伝わらなかったけど。

尚且つ、悪徳の存在と思われてるロックバンドから、真っ向対極な清らかな聖歌隊に入るというのも、このジョークの肝なのよ。知らんけど。

 

 

そしてなぜ、皆がみな、なんの疑いもなくこの荒唐無稽な話を受け入れてしまったのか。

 

まずひとつに、バンドを辞めたい理由がわからない。

1973年といえば、レッドツェッペリン快進撃真っ只中。ツアーチケットは飛ぶように売れ、アルバムは飛ぶように売れ、幾多の記録を塗り替えてゆく人気絶頂バンド。おまけに映画まで撮っちゃうご乱行……大繁栄振り。秒単位で目玉が飛び出るほどの大金を稼ぎ、華やかなグルーピーたちと毎夜繰り広げる乱痴気騒ぎのロードフィーバー。

しかも、そんなビッグバンドにありがちな揉め事からは縁遠い。煩わしい雑事も面倒も全て大守護神ピーターグラントが遠ざけ弾き飛ばし、それぞれが己の才能と才覚を遺憾なく発揮できる環境がある。メンバーとの不和だってない。女の取り合いもなく、ギャラの取り分で揉めたこともなく、友好的な関係を保てている。勿論、音楽の才能が枯渇したわけでもない。金も女も、栄誉も賞賛も惜しむことなく注がれる。世間からは羨望の的。

それを「全部いらない。ウィンチェスター大聖堂聖歌隊指揮者になるから」などと突然言い出されちゃったもんだから、意味がわからなすぎてファンは一周回って納得するしかない。だって、わけわかんないもん。

「いらないなら俺にくれよ!!」と叫びたいミュージシャンなんぞ数多いるぞ?

 

もうひとつは、ジョーンズが音楽の才能に満ち溢れていたから。

セッションマン時代は「困った時のジョンポール」「黒っぽいベースが欲しかったらジョーンズを呼べ」と引っ張りだこ。プロデューサーのエディクレイマーは「オリンピックスタジオに頻繁に出入りしてはポップチャート用のアレンジをして、指揮台に立ち、ベースを手に持ち、60人のオーケストラを指揮する様は天才的だった」と、当時のジョーンズについて語っている。

仕事がひっきりなしで来るのはいいが自分の創造意欲が満たされず、モヤモヤと悩んでたところに嫁さんが背中を押してくれて、心機一転してバンド組んだら大成功しちゃう。バンドではベースに鍵盤、マンドリンから、果てはリコーダーまで何でもござれ。

「ベースと鍵盤の両方やるのは大変だろうから、鍵盤弾きをメンバーに入れようか。ジョンジーにはベースに専念してもろて……」と言われたら「いや、鍵盤にフットベース仕込むから。俺一人で充分」などと言い出し、見事に有言実行。問題即解決。

勿論、作曲もできちゃう。アレンジはお手のもの。おまけにバンド活動中でも以前と変わらずスタジオから頼られ、仕事依頼が飛んでくる。まさに音楽の申し子。

ウィンチェスター大聖堂聖歌隊指揮者?なにそれ?まあでも、ジョンジーはなんでもできるから……」と、みんなから受け入れられても致し方ない有能さ。

 

己の才能が『ボケごろし』として50年も発動してしまう男、それがジョンポールジョーンズ。ヤダ、カッコイイ。

 

 

ウィンチェスター大聖堂聖歌隊指揮者』というインパクトある職業に目を逸らされがちだが、そもそも彼は何故、破竹の勢いのバンドを辞めたいと言い出したのか。

 

1973年、晩秋の昼下がり。その日、ジョーンズはマネージャーであるピーターグラントの邸宅に行き、こう言った。

 

「バンドはもうウンザリだ。これからはウィンチェスター大聖堂聖歌隊指揮者になるつもりだ」

 

 

ジョンジー、ゼップ辞めるってよ!

 

 

②につづく